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Hanna

Author:Hanna
2005年9月よりアメリカ在住
東京出身、和文化と猫とオペラが大好き!あと、ゴルフも…
(すみません。多彩な趣味の持ち主なのです。^_^;)

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NYスタインウエイの甘いジュース
日本への1か月の一時帰国から戻ってきたNY。気が滅入ります。

いつものことながら日本にいる間はほとんどピアノを弾くことができませんでした。指も頭もあっという間に退化します。日本にいる間は、私が子供のころから練習してきたピアノで練習します。ヤマハのアップライトですが、長い長い時間を一緒に過ごしてきたバディーです。やはり愛着があって弾きやすいです。しばらく弾いていなくても鍵盤がすっと指に馴染みます。

NYに戻ってきて恐る恐る蓋を開けた今のバディー。ちょっと弾いてみたら、驚きました。
音がとにかく甘い。。。もちろん低音も高音も、ヤマハのピアノとは何もかもが違うわけですが、とにかく何とも甘い甘い音が出るのです。自分の演奏が全く別人のもののように聴こえてしまうほど。

そういえば、以前M氏とのレッスンの時にこう言われたことがありました。

「君は、家でスタインウエイに甘やかされているから、スタインウエイでないピアノを外で弾かなくてはいけないときに困るよ。スタインウエイみたいなジュースは他のピアノにはないから。」

彼は、”ジュース”という単語を使いましたが、まさにそれが私の感じた甘さそのもの。音と音の間を自然につないでくれる潤滑油のようなものとも言えるかもしれません。

ずっとスタインウエイはとにかく難しいピアノだと思い続けてきましたが、それだけではなかったらしい。NYスタインウエイが持つ、音の甘いジュース。全く何と言うピアノなんでしょうか。恐ろしくなるほどのピアノです。生きてます。

そういえば、日本で日比谷にあるスタインウエイサロンの横にあるスタインウエイのショールームを外から覗いた時に、ホロヴィッツの写真が飾ってありました。私の中では
ホロヴィッツ=NYスタインウエイ
なのですが、その写真のホロヴィッツはしっかりハンブルクスタインウエイを弾いていました。そこではハンブルクスタインウエイしか扱っていないので仕方のないことですが、ちょっと笑ってしまいました。※1、2

NYスタインウエイとハンブルクスタインウエイ、全く別物だと言うことをもっと多くの人に知ってほしいなと思うこの頃です。

※1、NYスタインウエイとハンブルクスタインウエイには、外観にいくつかの形状の違いがあります。どちらのスタインウエイかを見分ける一番簡単な方法は、鍵盤の両側にあるピアノのボディーの形を見ることです。ここに丸くカーブが付いているものがハンブルク、ここが90度にスパッと曲がっているのがNYスタインウエイです。この他にも大屋根の内側の部分やペダルを支える足の部分なども二社で異なる形状になっています。

※2、スタインウエイ社は、世界に販売テリトリーをしっかりと分けています。NYスタインウエイ社がカバーするのは、主に北米と南米だけ。それ以外、欧州やアジア、オセアニアはハンブルグスタインウエイ社の管轄になります。そのようなわけで日本にはハンブルグスタインウエイの方が圧倒的に多いわけです。日本で見かけるNYスタインウエイはほとんどかなり年代が古いものが多く、リストアされていると思います。でも、それは悪いことではなく、むしろ良いことだと私は思います。NYスタインウエイは1960年よりも前のものの方に良いピアノが多くみられるからです。(一台一台の個性が強烈なNYスタインウエイは、同じ時代であっても全くべつものなのですが・・・)


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テーマ:ピアノ - ジャンル:音楽

Piano | 00:43:26 | Trackback(0) | Comments(0)
シューマン、心洗われた夜
昨日、生の演奏を聴いてみたいと長いこと願っていた吉永哲道さんの演奏会に行ってきました。場所は、日比谷にあるスタインウエイサロン(スタインウエイホールではないところが面白い。NYから文句を言われてしまうから?)。

とにかく丁寧で驚きました。一音一音全てに細やかな心配りがあり、細心の注意をはらって音が奏でられていました。そしてペダルの使い方もとても面白かった。響きのためのペダルというか、ペダルのタイミングが絶妙に計算されているようでした。音から音へつなぐペダルという感じに聴こえました。演奏者がどういう風に弾きたいのか、聴かせたいのか、とてもよくわかりました。とにかくとても感心しました。

ピアノは、ハンブルグスタインウエイ。久しぶりにあの音を聴きました。違和感を感じなくなるまでに少し時間がかかり、自分の耳はすっかりニューヨークスタインウエイの音に慣れてしまったのだと実感しました。同じスタインウエイといっても、まったくの別物です。ちなみにこのサロンのお隣には、サロンを経営する楽器屋さんのスタインウエイのショールームがあります。

オールシューマンプログラム。
組曲のパピヨンから始まって、子供の情景、小休止を挟んでデイビッド同盟と続きます。デイビッド同盟舞曲集を生で聴いたのは初めてでした。フロレスタンとオイゼビウスという二人の性格が全く異なる主役が交互に現れるように曲が並べられているのですが、吉永さんの演奏からはその二人の性格の違いが本当にはっきりと感じられました。この違う性格の二人はシューマン自身の二面性。つくづく深いなあと感動しました。

ずっと生で聴いてみたいと願い続けてきた人の演奏をついに3年越しで聴くことができた夜。非常に満足しました。そして、ものすごくモティベートされました。もっと丁寧に、真摯に音楽と向き合おうと思いました。吉永さんとM氏、どこか重なって見えました。二人とも同じ学校(モスクワ音楽院)で学ばれたからなのかもしれませんが、指の使い方も似ているように見えました。ものすごい勉強になりました。感謝です。。。

テーマ:ピアノ - ジャンル:音楽

Piano | 10:11:29 | Trackback(0) | Comments(0)
音色を操る -Schubert Standchen (Serenade)-
毎日車の中で過ごす時間が多い私にとって、Bluetoothとituneの組み合わせは救世主と言えます。ituneの中の音楽の量がどんどんと増えていきます。
先日、気が付かないうちにランダムプレーになっていて再生されたのが、
ホロヴィッツの弾くシューベルトのセレナーデ。
これはリストによって元々歌曲であるセレナーデをピアノバージョンに翻訳されたものです。さすがホロヴィッツ。いやあ、忘れてましたこの曲の存在。何て良い曲なんだろう。運転しながら、すっかり聴き惚れてしまいました。
同じメロディーが形を変えながら繰り返されていくのですが、この曲の醍醐味は声部の弾き分けだと私は思います。最初は中声部だけで始まり、最後は3声になる。この3つの異なる声部を人間の声の様に弾き分けることができると、それはそれはもうピアノとは思えないような世界が広がります。
「音色を操る」
とにかくこれにつきます。何もしなくても、それぞれの声部を奏でる音域が違うので多少の差は出ますが、音色を自由自在に操れる悪魔のようなピアニストの手にかかると、そこには3人の歌手が見えてきます。

You Tubeで色々な人の演奏を見ていると、面白い。アメリカでユジワンと並んで人気の高いグルジアのセクシーピアニストのブニアティシヴィリ(難しい名前。。)、そしておなじみランラン。どちら様も音色に関してはホロヴィッツの足元にも及ばないと思いますが(この曲に関しては)、それぞれに目指すものがあって面白い。ランランの出だしの歌い方は本当にうまくてニヤッとしてしまうほどですが、この曲に関してはあまり音色の種類は感じられないような気も。。。ブニアティシヴィリは、きっとホロヴィッツ的なセレナーデを目指しているんだろうなあ。

どうやったらもっと音色を操れる???
永遠の課題です。。。


テーマ:音楽的ひとりごと - ジャンル:音楽

Piano | 10:28:20 | Trackback(0) | Comments(0)
一音の中のクレッシェンド
先日のモーツアルトのピアノカルテットのレッスンの時のこと。
第2楽章の一小節目を弾いただけで早速止められました。そしてM氏はこう言いました。
「その1音目だけど、2音目に入るまでにクレッシェンドしてくれる?」
「・・・・・」
2音目に入るまでにクレッシェンドをするということは、最初の1音目の中でクレッシェンドをするということです。打楽器であるピアノは、一度打鍵したら音は衰退していきます。ペダルを使った場合、その衰退のスピードを遅らせることはできますが、少しずつ音が消えていつかは無くなるのは同じこと。これが弦楽器とピアノの大きな違いの一つです。弦楽器は弓で持続して弦に触れることによって、一つの音を弾きながら音を大きく膨らませることが出来ます。

その物理的に不可能な現象を「やってくれる?」と軽く言ったM氏。目を点にした私に
「君の言いたいことはもちろんわかるよ。でも僕の昔の先生にこう言われたんだ。」
そしてモスクワ時代の師匠、バシキーロフの話をしてくれたM氏。
ショパンの幻想即興曲の出だしのG。このGの中でクレッシェンドをするようにとバシキーロフに注意をされたのだそうです。

この「一音の中のクレッシェンド」については、バレンボイムがランランにマスタークラスをしている時のベートーベンのソナタの中で同じことを言っています。
「ランラン、君はその一音の中でクレッシェンドが出来ると言うことを信じなければいけないよ。」
その物理的に不可能と思える「一音の中のクレッシェンド」について、バレンボイムは自分がホロヴィッツにレッスンを受けた時の話を交えて、全ての音に自分の意志を伝えることで物理的には不可能なことを音楽的に可能にしていくことを語りました。

そのビデオをYoutubeで見た時にとても衝撃を受けた私ですが、それと全く同じことをM氏から言われました。M氏に後光が差しているように見えて、
「先生、バレンボイムみたいですね。」
と言った私に、ニヤッと笑ったM氏。
クレッシェンドできる!って信じただけで実際に一音の中でクレッシェンドが出来るわけではないと思いますが、その思いが頭の中にあるだけで音が変わってくる、または左手のパートにその思いが反映される。そういうことなんだろうと思います。

そういえば、以前どなたかのブログに、私が見たのと同じバレンボイムのビデオを見て、「そうバレンボイムが言ったのは、一音の中でクレッシェンドする方法を教えたくなかったから。企業秘密ということ。一音の中でデクレッシェンドできると言うことは、クレッシェンドだって可能。」と書いていらっしゃいました。その方も、具体的なことは書かれていなかったので、また企業秘密だと言うことでしょうか。そんなことを言うなら、出し惜しみしないで教えてくれたらよいのにと思ってしまった私です。私は企業秘密を知りませんので、頭の中でイメージする方法でやるしかないです。


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Piano | 21:13:41 | Trackback(0) | Comments(0)
ピアノに求められるもの
ここしばらくモーツアルトのピアノカルテットを練習していますが、ここ1週間ほどあまりに難しくてがっくりきてます。何がそんなに難しいのか?モーツアルト何て子供でも弾くじゃないか!と思いますが、私が思うモーツアルトの一番の難しさは

「ピアノのことだけを考えて作曲されていない」

ところだと思います。ピアノのためのパートも基本的に弦楽器をイメージして書かれているのです。これはピアノソナタでも同じこと。モーツアルトの頭の中には基本的に弦楽器が鳴り響いていて、それをピアノに置き換えているだけ。今回ピアノカルテットを練習していて、そのことを再認識しました。ピアノに求めているものが多様なのです。弦楽器の様にただ純粋にその楽器の奏者ではいられない。ピアノは、時には弦楽器になり、時には管楽器にもなる。必要があれば打楽器にだって・・・これはベートーベンのソナタも全く同じ。ソナタは基本的にストリングカルテットのイメージで書かれていて、それをピアノ一人でオーケストラするわけです。

これに対してショパンは違う。ショパンはピアノのために作曲をしています。だから弾きやすい(易しいという意味ではなく)。もちろんモーツアルトやベートーベンとは時代も違うけれど、時代だけの問題ではないと思います。ショパンの中に流れていたのは、ピアノと歌。だから歌うように弾くということがキーになります。ただ、モーツアルトやベートーベンの様に一人でオーケストラをやらなくても良い。純粋にピアニストでいられる。

モーツアルトのレッスンでM氏が弾いてくれた時の音のクオリティーがあまりにも私の音と違いすぎて久しぶりにどん底近くまで落ち込みましたが、ピアノのために書かれていない音楽だからこそ、生の音のクオリティー、そして一人オーケストラを演じるための音色の種類、弦とほぼ同じフレーズをピアノで弾かされるという現実、それらが奏者の実力をよりはっきりと浮き彫りにするのだと思います。ショパンの様に朦朧とさせてはごまかせない。

何だか弦楽器奏者がうらやましくなってきました。彼らの方が純粋でいられる気がします。

ピアノは、その都度「ピアノに求められているもの」を明確に理解していないとダメなんだと、今更思い知りました。弓で弾くような一つのボーイングから生まれるスラーなんて、ピアノでは出来ないのに。。。一度出した音は消えていくだけの楽器なのに。。。

キラキラとモーツアルトを弾くM氏を見ていて、本当に頭が下がりました。すごいピアニストです。そういえば、彼は一時モーツアルトにはまっていたと言っていました。ミケランジェリの弟子にレッスンをしてもらいにロンドンまで行っていたと。はああ。モーツアルト嫌になってきました。


テーマ:ピアノレッスン - ジャンル:音楽

Piano | 22:03:46 | Trackback(0) | Comments(0)
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