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Hanna

Author:Hanna
2005年9月よりアメリカ在住
東京出身、和文化と猫とオペラが大好き!あと、ゴルフも…
(すみません。多彩な趣味の持ち主なのです。^_^;)

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実は、音楽だけのブログあります・・・
ご無沙汰しております。
4月も半ばに近づいてきたコネチカット、寒いです。何の花も咲いていません。まだヒーター入ってます。まだダウンジャケット着ています。さすがにこの天気は鬱になります。

さて、実は、「ピアノのことだけのブログをやってみたら?」という知人の勧めでしばらく前から音楽だけ(主にピアノ)のブログをやっていますなんだか結構反響がありまして、そちらの方ばかり更新してしまい、こちらがお留守になっている状態です。ごめんなさい。

「この人は生きているのだろうか?まだアメリカで頑張っているのだろうか?」と思ってくださった方は、良かったらこちらもご覧になってみてください。ピアノの話ばかり、超マニアックです。お許しを。。。まだアメリカで頑張ってます。日本へ帰りたいですが・・・

NYでピアノ三昧
https://ameblo.jp/rbsct/



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テーマ:アメリカコネチカット生活 - ジャンル:海外情報

music | 08:14:44 | Trackback(0) | Comments(0)
自分の音を聴く
M氏とのレッスンはM氏がパイプオルガンを弾く教会の礼拝堂にあるベーゼンドルファーのフルコンを使っています。それなりの大きさのパイプオルガンが置いてあるような礼拝堂で、ベーゼンドルファーとは言えフルコンを大屋根全開で弾く場合、自分が聴こえる音と実際に周りに届いている音とではかなりの差があります。

先週のレッスンの時にM氏が来る前に一人で屋根が閉じた状態のフルコンを弾いていて、とても心地よく感じていたのが、曲の途中でM氏がやってきて屋根を全開にした時に、いきなり自分が聴こえる音が全く変わってしまったことにとても驚きました。
「屋根が閉まっている時の方が弾いていて気持ちが良かったのに。。。」
と言った私に、
「No No No.」
とM氏。
「いつも狭い場所で小さな音にばかり慣れていると、大きな場所で屋根を全開にして弾いた時にとても戸惑うことになるよ。部屋のサイズによっても、楽器によっても、お客さんの数によっても、自分が聴こえる音は全く変わってくるんだ。それに対応できるようにするためには、とにかくどんなときにも自分の音を良く聴かなくちゃいけない。広い場所で弾くことに慣れなくちゃだめなんだよ。」

なるほど・・・
自分の音を良く聴く。わかってはいても、弾くことに一生懸命になってくるとついついおろそかになりがちです。耳からだけでなく、全身を使って、自分の音に、自分の響きに集中する。そうなった時に本当に真っ白な心で音楽に向かい合えるのだと思います。
遠い遠い道のりですが、千里の道も一歩から!屋根は全開にしないまでも、半分だけ開けて、空中に立ち上るような響きが出せるように心がけてみよう。自分に返ってくる音が大きくなっても、響きを損ねないように心がけてみよう。そう考えると、やらなくてはいけないことは自然と定まってくるのです。。。


テーマ:ピアノレッスン - ジャンル:音楽

Piano | 17:15:48 | Trackback(0) | Comments(0)
ピアノとの距離
今日のレッスンでショパンのエチュード、Op.25-6を弾いた時のこと。
「君は一生懸命弾きすぎだよ。肘から先だけで弾いているって知ってる?」
とM氏。
なるほど・・・肘から先だけで弾いている。確かにそうかもしれません。だって、このエチュードは特に難しいから。右手はずっと細かい重音トリルだから。そういう言い訳からどんどんピアノとの距離が狭くなっていったのかもしれません。
「肘から先だけで弾こうとすると、フォルテはどうやって弾く?指の力で弾くしかないよね。」
これも、なるほど・・・
「もっと身体使って弾いて!特に体が小さい人は一層身体を使わなくてはいけない。指に負担をかけては絶対にいけないよ。」
なるほど・・・

そうして、M氏に指示されたように肘を伸ばして構えられるところに体を下げてみると、ものすごくピアノが遠く感じられるのですが、明らかに音色が違うことに気が付きました。確かにこの状態だと、体を少し前に倒してウエイトを載せるだけで楽にクレッシェンドが出来る。レッジェッロなどで指示される羽のように軽く弾かなくてはいけない部分は、より一層後ろに下がって、指先だけを敏感にして弾く。なるほど楽です。

この新たなピアノとの距離、全く未知のものでした。その距離、自分のお腹とピアノの間にバレーボールが一個ぐらい入るような感じ。ピアノを弾いていて、鍵盤越しに自分の太ももが見えることに気が付いたのは初めてかも。。。

テーマ:ピアノレッスン - ジャンル:音楽

Piano | 21:51:00 | Trackback(0) | Comments(0)
引き込まれる音楽、音楽の求心力
2018年がスタートしましたが、ここ1か月ほど私生活が落ち着かず、あまりピアノを弾くことが出来ていない悲しい状況が続いています。それでも、今年も一層の努力と研究を重ねて、より美しい音楽へ近づけるように、そしてより楽しんで音楽を奏でられるように頑張ります!

さて、ピアノを思うように弾けない間にすることと言えば、読書。活字を読むことは私にとって自分の精神を正常に保つために欠かせない行為なのですが、昨年の夏に日本で買って帰ってきたキ○ドルで思いっきり日本の本が読めるようになってから格段に読書量がアップしたこの頃。ここしばらくはまっているファンタジーを専門に書かれている日本人の作家さん、彼女の作品をいろいろ読んでみてなぜこれほどまでにはまるのか、そのはまる理由が音楽にも当てはまるのではないかと思いました。

物を書くという行為は、音楽を作っていく行為にとても似ていると思います。
しっかりとした全体の構造、それを作り出す言葉や文章の美しさと精度、物語の運び、積み重ね、しかけ、などなど。
演奏家の場合は、既にそうやって作られたものを自分の言葉で置き換えて表現していくので、作曲家の意図をどこまで理解できるか、それをどうやって表現するかという別の課題もあるわけですが、物語を組み立てていくという行為自体は同じなのではないかと思います。これらが上手くかみ合った時に、音楽や物語に求心力が生まれて、それに関わる人を引き込んでいきます。

音楽を作り出す音の美しさ、表現の美しさ、物語の運び、そしてそれらを作り出す確かなテクニック、そういう色々なものが全て合わさった時に、思わず引き込まれてしまうような音楽の求心力が生まれるのだと思うのですが、それほど強い求心力を感じるような演奏にはなかなかお目にかかれないのも事実。ここ数年でそういう演奏会に巡り合ったのは、ただ1度だけ。2016年の3月にNYのヤマハホールで見た、オクサナ・ヤブロンスカヤのフェアウエルコンサート。これは本当に素晴らしかった。お客さんはほとんど彼女の知り合いだけのような、入り口で彼女のお弟子さんがチケット代を集めるような内輪のコンサートだったのですが、とんでもなく素晴らしい演奏会でした。その時の感動はあれから2年近くたっていても全く褪せることなく私の中に残っているのですが、何が一番驚いたかと言えば、
「彼女の作り出す音楽の求心力」
身動きさえできないほど引きずり込まれてしまう音楽の磁力。これは生まれて初めて体験したと言っても良いほどのものでした。すべての条件がそろった時に生まれるこの磁力、彼女の物語の中にどんどん引き込まれていく、恐ろしいほどの求心力。彼女の魔法にかかってしまったようなそんな千載一遇の体験をさせてもらいました。全てくっきりと記憶に残っていますが、特に忘れられないのが、ラフマニノフのコレリの変奏曲とアンコールで弾いたスカルラッティのソナタ。

今年はこの「求心力のある音楽」をいつも心のどこかに留めておきながら、一つ一つのことを積み重ねていきたいと思います。結局、いつも一つ一つ。近道はないのだと自分を戒めつつ。。。でも、音楽を奏でる楽しさはいつも忘れないようにして。。。
やることいっぱいです。。。

テーマ:アメリカコネチカット生活 - ジャンル:海外情報

music | 10:10:56 | Trackback(0) | Comments(0)
曖昧さ -The Other Side, あちら側の話-
少し前にアメリカで封切られた子供向けの”COCO”という映画を見てきました。アメリカ(ディズニー)にしては珍しく、プリンセスでもなく、ヒーローでもなく、人工物でもない、メキシコのいわゆるお盆の風習がベースとなった”The Other Side”、”あの世”の話でした。ディーテールは別にしても、最後では不覚にも涙腺が緩んでしまうような、久しぶりにちょっとずきんとくる映画でした。

人工物で固められたアメリカという国に住んでいると、”The Other Side”の存在がほとんど感じられないと思うのです。スピリッチュアルという訳ではなく、どんな物事にも表と裏があるわけで、そういう意味での”あちら側”の存在。それは日本にいると自然にどこにでもあって、その存在を感じる瞬間が普通にあるのですが、ここアメリカにはない。

昨日のレッスンで、今度挑戦することになったベートーベンの最後のソナタの一曲、Op.110のことをM氏と話していて、その”あちら側”の話になりました。このOp.110という曲は、ベートーベンが限りなく”あちら側”に近づいた瞬間だと私は思っていたのですが、それを実感させてくれたのが、エミール・ギレリスの演奏でした。ギレリスの弾くOp.110はとにかく美しい。特にそのフーガは絶品。そのフーガを初めて聴いた時に私が感じたのは、
「ギレリスはあちら側への扉を開けてしまった。。。」
ということでした。聴いている私までもあちら側へ引き込まれてしまうような、危ないぐらいに神がかったフーガでした。

M氏がぽつんと
「なぜか最近アメリカ人の弾く音楽には心を動かされないんだよね。音楽が正しすぎるんだよ。」
と言ったのですが、それはまさに私の思うアメリカではあちら側の存在が感じられないと言うこと。言葉を替えれば、”曖昧さ”が無いと言うこと。グレーゾーンが無いと言うこと。

何でも黒白付けたがるアメリカ人。正しいか、間違っているかだけで、その中間はない。彼らの奏でる音楽もそういう傾向があるのかもしれないです。もちろんアメリカ人と言ってもどんなバックグラウンドを持つ人なのか、どんな先生に習ったのかによっても違ってくるのだろうと思いますが(特にNYでは超一流の亡命ロシア人音楽家に師事したアメリカ人音楽家が多いので)、身の回りにこの”曖昧さ”がない状態で育った人の心にはなかなか理解できない世界なのでは?と思ってしまいます。日本人のベースにある「おかし」とか「あはれ」の感覚。この曖昧なものを愛でる感覚、この感覚が聴衆に幻を見せるのでは?と思うこの頃です。

ギレリスの弾くベートーベン。ベートーベンらしくないという意見もありますが、私は彼の翻訳がとても好きです。でもOp.110のフーガは危ないです。幻どころか、どこか違うところへ行ってしまいそうです。

※エミール・ギレリス、Emil Gilels
Beethoven Piano Sonata NO.31 in A flat Major, Op.110もしかしたら私の持っている音源と違う演奏かもしれませんが、それでも十分に危ないです。。。




テーマ:ピアノ - ジャンル:音楽

Piano | 11:25:31 | Trackback(0) | Comments(0)
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