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Hanna

Author:Hanna
2005年9月よりアメリカ在住
東京出身、和文化と猫とオペラが大好き!あと、ゴルフも…
(すみません。多彩な趣味の持ち主なのです。^_^;)

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自分の音を聴く
M氏とのレッスンはM氏がパイプオルガンを弾く教会の礼拝堂にあるベーゼンドルファーのフルコンを使っています。それなりの大きさのパイプオルガンが置いてあるような礼拝堂で、ベーゼンドルファーとは言えフルコンを大屋根全開で弾く場合、自分が聴こえる音と実際に周りに届いている音とではかなりの差があります。

先週のレッスンの時にM氏が来る前に一人で屋根が閉じた状態のフルコンを弾いていて、とても心地よく感じていたのが、曲の途中でM氏がやってきて屋根を全開にした時に、いきなり自分が聴こえる音が全く変わってしまったことにとても驚きました。
「屋根が閉まっている時の方が弾いていて気持ちが良かったのに。。。」
と言った私に、
「No No No.」
とM氏。
「いつも狭い場所で小さな音にばかり慣れていると、大きな場所で屋根を全開にして弾いた時にとても戸惑うことになるよ。部屋のサイズによっても、楽器によっても、お客さんの数によっても、自分が聴こえる音は全く変わってくるんだ。それに対応できるようにするためには、とにかくどんなときにも自分の音を良く聴かなくちゃいけない。広い場所で弾くことに慣れなくちゃだめなんだよ。」

なるほど・・・
自分の音を良く聴く。わかってはいても、弾くことに一生懸命になってくるとついついおろそかになりがちです。耳からだけでなく、全身を使って、自分の音に、自分の響きに集中する。そうなった時に本当に真っ白な心で音楽に向かい合えるのだと思います。
遠い遠い道のりですが、千里の道も一歩から!屋根は全開にしないまでも、半分だけ開けて、空中に立ち上るような響きが出せるように心がけてみよう。自分に返ってくる音が大きくなっても、響きを損ねないように心がけてみよう。そう考えると、やらなくてはいけないことは自然と定まってくるのです。。。


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テーマ:ピアノレッスン - ジャンル:音楽

Piano | 17:15:48 | Trackback(0) | Comments(0)
ピアノとの距離
今日のレッスンでショパンのエチュード、Op.25-6を弾いた時のこと。
「君は一生懸命弾きすぎだよ。肘から先だけで弾いているって知ってる?」
とM氏。
なるほど・・・肘から先だけで弾いている。確かにそうかもしれません。だって、このエチュードは特に難しいから。右手はずっと細かい重音トリルだから。そういう言い訳からどんどんピアノとの距離が狭くなっていったのかもしれません。
「肘から先だけで弾こうとすると、フォルテはどうやって弾く?指の力で弾くしかないよね。」
これも、なるほど・・・
「もっと身体使って弾いて!特に体が小さい人は一層身体を使わなくてはいけない。指に負担をかけては絶対にいけないよ。」
なるほど・・・

そうして、M氏に指示されたように肘を伸ばして構えられるところに体を下げてみると、ものすごくピアノが遠く感じられるのですが、明らかに音色が違うことに気が付きました。確かにこの状態だと、体を少し前に倒してウエイトを載せるだけで楽にクレッシェンドが出来る。レッジェッロなどで指示される羽のように軽く弾かなくてはいけない部分は、より一層後ろに下がって、指先だけを敏感にして弾く。なるほど楽です。

この新たなピアノとの距離、全く未知のものでした。その距離、自分のお腹とピアノの間にバレーボールが一個ぐらい入るような感じ。ピアノを弾いていて、鍵盤越しに自分の太ももが見えることに気が付いたのは初めてかも。。。

テーマ:ピアノレッスン - ジャンル:音楽

Piano | 21:51:00 | Trackback(0) | Comments(1)
曖昧さ -The Other Side, あちら側の話-
少し前にアメリカで封切られた子供向けの”COCO”という映画を見てきました。アメリカ(ディズニー)にしては珍しく、プリンセスでもなく、ヒーローでもなく、人工物でもない、メキシコのいわゆるお盆の風習がベースとなった”The Other Side”、”あの世”の話でした。ディーテールは別にしても、最後では不覚にも涙腺が緩んでしまうような、久しぶりにちょっとずきんとくる映画でした。

人工物で固められたアメリカという国に住んでいると、”The Other Side”の存在がほとんど感じられないと思うのです。スピリッチュアルという訳ではなく、どんな物事にも表と裏があるわけで、そういう意味での”あちら側”の存在。それは日本にいると自然にどこにでもあって、その存在を感じる瞬間が普通にあるのですが、ここアメリカにはない。

昨日のレッスンで、今度挑戦することになったベートーベンの最後のソナタの一曲、Op.110のことをM氏と話していて、その”あちら側”の話になりました。このOp.110という曲は、ベートーベンが限りなく”あちら側”に近づいた瞬間だと私は思っていたのですが、それを実感させてくれたのが、エミール・ギレリスの演奏でした。ギレリスの弾くOp.110はとにかく美しい。特にそのフーガは絶品。そのフーガを初めて聴いた時に私が感じたのは、
「ギレリスはあちら側への扉を開けてしまった。。。」
ということでした。聴いている私までもあちら側へ引き込まれてしまうような、危ないぐらいに神がかったフーガでした。

M氏がぽつんと
「なぜか最近アメリカ人の弾く音楽には心を動かされないんだよね。音楽が正しすぎるんだよ。」
と言ったのですが、それはまさに私の思うアメリカではあちら側の存在が感じられないと言うこと。言葉を替えれば、”曖昧さ”が無いと言うこと。グレーゾーンが無いと言うこと。

何でも黒白付けたがるアメリカ人。正しいか、間違っているかだけで、その中間はない。彼らの奏でる音楽もそういう傾向があるのかもしれないです。もちろんアメリカ人と言ってもどんなバックグラウンドを持つ人なのか、どんな先生に習ったのかによっても違ってくるのだろうと思いますが(特にNYでは超一流の亡命ロシア人音楽家に師事したアメリカ人音楽家が多いので)、身の回りにこの”曖昧さ”がない状態で育った人の心にはなかなか理解できない世界なのでは?と思ってしまいます。日本人のベースにある「おかし」とか「あはれ」の感覚。この曖昧なものを愛でる感覚、この感覚が聴衆に幻を見せるのでは?と思うこの頃です。

ギレリスの弾くベートーベン。ベートーベンらしくないという意見もありますが、私は彼の翻訳がとても好きです。でもOp.110のフーガは危ないです。幻どころか、どこか違うところへ行ってしまいそうです。

※エミール・ギレリス、Emil Gilels
Beethoven Piano Sonata NO.31 in A flat Major, Op.110もしかしたら私の持っている音源と違う演奏かもしれませんが、それでも十分に危ないです。。。




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Piano | 11:25:31 | Trackback(0) | Comments(0)
ベートーベンピアノソナタ31番 op110
前回のレッスンの時に、
「グリーグもそろそろ格好になってきたから次のことを考えよう。ベートーベンの後期のソナタをやってみない?30番か31番。」
とM氏に言われ、一瞬にして固まってしまった私。先生から後期のソナタを提案をしてもらえる日が自分に訪れるとは思ってもみませんでした。

ベートーベンのピアノソナタは1番から32番までありますが、それを作曲年代から大きく前期、中期、後期の3つに分類方法があります。(この3つに収まりきらない過渡期の作品も存在します)この中で後期は28番から32番までを指すことが多く、その中でも特に30番台(30、31、32)は最後のソナタと呼ばれ、特に敷居が高いというか、数あるベートーベンの作品の中でも神がかっているというか、容易には手を付けられない、手を付けたくない、でもいつかは弾いてみたい作品です。私はベートーベンの後期のソナタに入る前にピアノをやめてしまったので、私にとってこの後期のソナタ、特に最後の3つのソナタと言うのは、ほとんど聖域のようなアンタッチャブルの作品でした。それを弾く?
超嬉しいけど、超怖い。。。
超弾いてみたいけど、やめておいた方が良いのでは?
最後の3つなら、31番が一番好きだけど・・・あのフーガが私に弾けるのだろうか?
いくつもの思いが頭の中でぐるぐると交錯して、しばらくだまってしまった私に、
「別に君が嫌ならなら、別のソナタでもいいんだ。11番でもいいよ。弾いてみたいって前に言ってたよね。どれでも君が弾きたいものでいいよ。でも、ベートーベンをやろう。今度までに考えてみて。」
とM氏。

結局、その場で「31番を弾いてみたい!」とは返事が出来ませんでした。怖いもの知らずの私には、あんまりこういうことはないのですが、なぜかためらってしまったのです。「ベートーベンの好きなソナタを選んでいいよ!」なんて夢みたいなことを先生が言ってくれる。そう言われたら弾いてみたいベートーベンのソナタはたくさんありますが、30番、31番を提案されてしまったら、頭がそれから離れられなくなってしまいました。もし弾けるなら、31番が弾いてみたい。でも弾けるのだろうか?弾いてしまっても良いのだろうか?あれからずっと譜面を見てはため息をついています。だって31番は、何だか神がかっているから。もちろん技術的に苦労することは間違いないですが、あの作品の中に入って行ってしまっても良いのだろうか。まだ心が決まりません。ラフマニノフは私にとって命ですが、ベートーベンは間違いなく神です。だから怖いんです。


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Piano | 11:15:48 | Trackback(0) | Comments(0)
グリーグの手痛い洗礼
昨日のレッスンで、
「今日はホルベルグ組曲を全部最初から最後まで弾いてみたいのですが。。。」
と提案した私に、
「それは良いアイデアだね。ミニコンサートだ!」
と朗らかに了承してくれたM氏。

そして、とりあえずプレリュードからリガデューンまで全部弾きました。
このホルベルグ組曲、ある程度まではあっさり進んだのに、そこから前に進まなくなってきました。譜面にある音符を弾くこと自体は決して難しくないけれど、なかなか格好にならないのです。この閉塞感から抜け出したくて、少々無謀だと思いながら、全曲通して弾いてみるという提案をしたのでした。続けて弾いてみれば、見えなかったものが見えてくるかと思ったりして。。。

そして弾きながら気が付いたのが、グリーグは実はモーツアルトと似ていると言うこと。
ロマン派なのに、すっかすっかなんです。
つまりごまかしは全く効かず、素っ裸な状態で勝負をしなくてはいけません。つまり裸で魅せられる音楽に仕立てなくてはいけないと言うこと。弾き流せるような無駄な音は一つもなく、全ての音に抑揚が付いていなければ格好にならない。だからこうやって立ち行かなくなるのだと。

全曲を耐え忍んで聴いてくれたM氏。すぐに最後のリガデューンから強烈なダメ出しが始まります。ダメ出しすること2時間。それでも全部終わりませんでした。プレリュードは来週へ持越し。。。毎度のことながらM氏のあの忍耐力と気力には脱帽です。2時間にわたってダメ出しをされる方もへとへとになりますが、ダメ出しをする方だってへとへとだと思います。本当にありがたい限りです。

「グリーグはミニマリストなんだよ。そう、モーツアルトと似ているよね。だからすべてに完璧でないとダメなんだ。ただ何となく抒情的に弾いても、それはグリーグの音楽じゃない。すべての音に意志を持たせなければ、彼の音楽は作れない。完璧に計算された音楽なんだよ。」
とM氏。

グリーグがこんなだって初めて知りました。子供の頃、抒情的小曲集から何曲が弾きましたが、いわゆるロマン派的な音楽だと思って、緩くそれっぽく弾いた気がします。子供でも比較的簡単に弾けるグリーグ。そしてそれもそれなりの音楽として聴こえる。でも、同じ音楽をたとえばリヒターやギレリスが弾くと全然違う音楽になる。そういうことです。モーツアルトも子供から老人まで弾くには弾けますが、音楽としては全く違うものとして出来上がってくるのと同じです。手痛いグリーグの洗礼です。もう一度一音ずつさらい直しです。

ロシアのピアニストは、グリーグを好んで弾く人が多いです。そして名演奏も多い。私の中ではやっぱりプレトニュフのグリーグが群を抜いて美しいと思います。彼のリリックの小曲集、自分が弾いたものも何曲も聴きましたが、とても同じ音楽だとは思えませんでした。

※プレトニュフ、グリーグ 抒情的小曲集から


※リヒテル、グリーグ 抒情的小曲集から
プレトニュフとはアプローチが違いますが、とても説得感のある演奏です。これぞM氏の言う、グリーグの意図した音楽そのものなのでしょう。


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Piano | 09:34:43 | Trackback(0) | Comments(0)
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